派生文法

日本語の文法

日本語の文法といえば,「五段活用」や「か・き・く・く・け・け」などの言葉を思い出す人も多いでしょう.皆さんが中学校などで習った文法を一般に学校文法と呼びます.しかし,日本語の文法は学校文法だけではありません.色々な日本語の研究者が様々な文法を提案しており,「研究者の数だけ文法がある」とも言える状況です.その中から,我々の研究室では派生文法という文法に注目しています.

派生文法とは?

派生文法は清瀬義三郎則府*1が提唱した文法であり,その最大の特徴は,「日本語は活用していない」という主張にあります.皆さんが習ってきた「五段活用」や「か・き・く・く・け・け」といったものは,実は間違いだというのが派生文法の主張です.以下では順番に,派生文法の特徴を示していきます.

動詞の語形変化

子音幹動詞と母音幹動詞

動詞「書く」の変化について,学校文法と派生文法での違いを表で示してみます.

五段動詞「書く」の変化

 学校文法派生文法
未然形書か・ないkak-ana-i
連用形書き・ますkak-imas-u
終止形書くkak-u
連体形書くkak-u
仮定形書け・ばkak-eba
命令形書けkak-e

派生文法の方はローマ字で書いてあります.これは,平仮名や片仮名の文字単位ではなく,音素単位で日本語の変化を考えようとするためです.このように,音素単位で考える文法を音韻論的文法と呼ぶこともあります.

さて,動詞において変化しない部分を語幹と呼びます.学校文法においては,「書く」の「書」を変化しない部分—語幹としてきました.しかし,派生文法ではこれを音韻論的に捉え,「kak」を変化しない部分—語幹とします.このように語幹が子音で終わることから,派生文法ではこうした語幹を子音幹と呼びます.

一方,一段動詞*2の場合を以下に見てみましょう.

一段動詞「食べる」の変化

 学校文法派生文法
未然形食べ・ないtabe-na-i
連用形食べ・ますtabe-mas-u
終止形食べるtabe-ru
連体形食べるtabe-ru
仮定形食べれ・ばtabe-reba
命令形食べろtabe-ro

学校文法においては,「食べる」の語幹は「食べ」になります.派生文法においても語幹は「tabe」であり,学校文法の場合と同じになります.そして語幹が母音で終わりますから,こうした語幹を母音幹と呼びます.

以上のように,学校文法における五段動詞と一段動詞を,派生文法ではそれぞれ子音幹動詞,母音幹動詞*3と呼びます.

連結子音と連結母音

語幹を音素単位で考え子音幹動詞と母音幹動詞に区別するのは,他の音韻論的文法でも共通です.派生文法の特徴は,接尾辞の考え方にあります.接尾辞とは,語の後に付いて新しい語を作る要素です.上の二つの表においては,例えば終止形の欄にある「書く(kak-u)」における「-u」,「食べる(tabe-ru)」の「-ru」がそれぞれ接尾辞になります.

今,「-u」と「-ru」を別々の接尾辞であると書きましたが,派生文法ではこの二つの接尾辞がもともと同じものであると考え「-(r)u」と表記します.そして,語幹「kak」に「-(r)u」が接続する場合,括弧内の r が欠落して「kaku」になると考えます.言い換えると,括弧内の子音は母音幹に接続する場合はそのまま出現しますが,子音幹に接続する場合は欠落します.こうした子音を派生文法では連結子音と呼びます.

一方,未然形の欄にある否定を表す接尾辞を見てみると,「kak-ana-i」「tabe-na-i」のようになっていますが,派生文法ではこれを「-(a)na-i」と表記します.括弧内の母音 a は子音幹に接続する場合はそのまま出現しますが,母音幹に接続するときは欠落します.こうした母音を連結母音と呼びます.

こうした連結子音・連結母音を考えることにより,派生文法では子音幹動詞も母音幹動詞も原則として同じ接尾辞が接続すると考えます.

派生接尾辞と統語接尾辞

先程,否定を表す接尾辞を「-(a)nai」ではなく,「-(a)na-i」と表記しました.これは,「-(a)na」と「-i」は別々の接尾辞であることを表しています.例えば,「kak-ana-i」「kak-ana-katta」「kak-ana-kereba」のように,「-(a)na」の後の他の接尾辞が接続することが可能です.こうした接尾辞は,新しい語幹(二次語幹)を派生していると考え,派生接尾辞と呼びます.学校文法で助動詞と呼ばれる単語の多くは,派生文法では派生接尾辞とされ,以下のようなものがあります.

受動・可能・尊敬-(r)arekak-are-rutabe-rare-ru
使役-(s)asekak-ase-rutabe-sase-ru
丁寧-(i)maskak-imas-utabe-mas-u
可能-ekak-e-ru-
否定-(a)nakak-ana-itabe-na-i
願望-(i)takak-ita-itabe-ta-i

一方,新しい語幹を派生しない「-(r)u」のような接尾辞は統語接尾辞もしくは文法接尾辞と呼ばれます.統語接尾辞は,どのような動詞形を形成かによって区別されます.動詞形には,終止形,連体形,連用形,命令形の4種類があります*4.ただし現代語においては,動詞に接続する統語接尾辞の終止形と連体形は同じ形をしています.統語接尾辞の例を以下に示します.

終止形・連体形形成の統語接尾辞

機能統語接尾辞
非完了態-(r)ukak-utabe-ru
完了態-(i)taka-itatabe-ta
前望態・肯定-(y)oukak-outabe-you
前望態・否定-(u)maikak-umaitabe-mai

派生文法では「過去」ではなく「完了」と呼びます.また「前望」のように独特の用語が出てきますが,詳しい説明は省略します.

連用形形成の統語接尾辞

機能統語接尾辞
順接-(i)kakitabe
完了-(i)teka-itetabe-te
譲歩-(i)temoka-itemotabe-temo
却下条件-(i)tehaka-itehatabe-teha
開放条件-(r)utokak-utotabe-ruto
仮定条件-(r)ebakak-ebatabe-reba
否定-(a)zukak-azutabe-zu
目的-(i)nikak-initabe-ni

なお,これ以外に命令形形成の統語接尾辞も存在します.

命令形形成の統語接尾辞

機能統語接尾辞
肯定-e/-rokak-etabe-ro
否定-(r)unaka-unatabe-runa

肯定の命令形では,子音幹動詞に接続する場合と母音幹動詞に接続する場合で形が大きく異なり,連結母音や連結子音の考え方で一緒にすることができません.

形容詞と形容動詞

形容詞

これまでは動詞の接尾辞について紹介してきました.学校文法では,動詞だけでなく,形容詞や形容動詞も活用すると考えますが,派生文法では,そうした語も活用しないと考えます.

いわゆる形容詞については,派生文法では動詞の一種と考え形状動詞と呼びます*5.ただ,あまり新しい言葉が増えるとたいへんですので,ここでは普通に形容詞と呼びます.いわゆる形容詞の活用に関しても,派生文法では接尾辞が接続しているだけと考えます.

形容詞(形状動詞)に接続する統語接尾辞には,例えば以下のようなものがあります.

形容詞に接続する統語接尾辞

動詞形機能統語接尾辞
終止形・連体形非完了態-isamu-i
完了態-kattasamu-katta
前望態-karousamu-karou
連用形順接-kusamu-ku
完了-kutesamu-kute
譲歩kutemosamu-kutemo
却下条件-kutehasamu-kuteha
開放条件-itosamu-ito
仮定条件-kerebasamu-kereba
否定-karazusamu-karazu

なお,形容詞に命令形はありません.また,形容詞の語幹には子音幹・母音幹の区別はありません.

一方,形容詞に接続する派生接尾辞も存在します.例えば「-gar」がその例で,「samu-gar-u」のように,形容詞の語幹に接続して子音幹を派生します.また,動詞の派生接尾辞の例として挙げた否定の「-(a)na」と願望の「-(i)ta」は,動詞の語幹に接続して形容詞の語幹を派生します.よって,「-(a)na」と「-(i)ta」の後には形容詞に接続可能な接尾辞が出現します.

このように,派生接尾辞は様々な品詞に接続して,様々な語幹を派生します.

「勉強する」のようないわゆるサ変動詞に関しても,派生文法では名詞に「su」という派生接尾辞が接続して動詞語幹は派生したと考えます.

形容動詞

一方,形容動詞については,派生文法では名詞の一種と考え形状名詞と呼びます.しかし,ここでは形容動詞と呼んで説明を続けます.

形容動詞の活用は「きれいだろう」「きれいに(する)」「きれいだ」「きれいな(部屋)」「きれいならば」のようになります.しかし,この「きれい」を例えば他の名詞に置き換えて「本だろう」「本に(する)」「本だ」「本ならば」のように,言うことも可能です.ただし,連体形の「きれいな」に対してだけは「本な」ということはできず,「本の」となります.このように,連体形を除けば名詞と形容動詞で後に続く接尾辞は同じになりますから,派生文法は形容動詞を名詞の一種と考えます.また,形容動詞は終止形と連体形が異なる例外になります.

その他

今回は説明していませんが,動詞「kak-」(書k-)に完了の「-(i)ta」が接続する場合,「kakita」(書きた)ではなく「kaita」(書いた)になるという音便や,不規則動詞「来る」「する」の扱いについても派生文法では述べられていますが,今回は省略します.興味のある方は,ウェブマスタにメールを送ると解説を書くかもしれません.

最後に

「結局,派生文法は正しいの?」

さて,どうでしょう? 最初にも書いたとおり,世の中には数多くの文法が提案されています.そのどれが正しいかの議論は言語学者でない我々の手にはおえないところです.

実は,我々情報科学の研究者にとって派生文法が正しいかどうかはあまり興味がありません.我々の興味は,「日本語をコンピュータで扱うときにどの文法が適しているか」にあります.学校文法を扱う場合,面倒な活用処理が必要になります.一方,派生文法を使えば,活用処理はほとんど必要なくなります.ただし,派生文法を使うと解析結果がローマ字まじりになるという欠点もあります.

そうした長所短所を見極めて使用すると良いでしょう.我々の研究室では,膠着語と呼ばれる日本語と同じ性質をもつ言語間の翻訳に派生文法が適していることを利用して,日本語-ウイグル語および日本語-ウズベク語機械翻訳の研究を進めています.

*1 「きよせ ぎさぶろう のりくら」と読みます.

*2 学校文法では上一段動詞と下一段動詞に区分がありますが,多くの文法ではこの二つを区別せず,単に「一段動詞」と呼びます.

*3 派生文法以外の音韻論的文法では単に「子音動詞」「母音動詞」と呼ぶこともあります.

*4 派生文法では「未然形」「仮定形」はありません

*5 形状動詞に対して,「書く」「食べる」などの通常の動詞を動作動詞と呼びます.